ガイヤシンフォニー8番 山と海の霊の声を聴く

前回はガイヤシンフォニー8番の能面「阿古父尉」の復刻の中に見た「樹の精霊」との対話ついて感じたことをお伝えしました。

今回は、やはりガイヤシンフォニーに登場された畠山重篤さんの生き方から受けた感動をお伝えします。
重篤さんは、気仙沼湾のカキ養殖営む漁業家ですが、そのほかにも、環境保護運動家、エッセイスト、童話作家、京大のフィールド科学教育センター教授という沢山の顔を持つ方です。

重篤さんがカキ養殖を営む気仙沼湾は、豊かな漁場でしたが、東京オリンピックを過ぎたころ、経済が右肩上がりにグングン成長したころから、湾は汚染され赤潮となって、カキ養殖に致命的なダメージを与えました。

重篤さんは漁師ですが、海と山が隣接している地形であるため、子供のころから山にも慣れ親しみ、山で猟をする機会も多かったようです。

そんな体験をしてきたから、雑木林が杉山に変えられていったこと、すなわち森の荒廃が、気仙沼湾の生態系に悪影響を及ぼしていることを直感したそうです。
重篤さんが幼いころから親しんだ豊かな山から、鳥もウサギもいなくなっていました。

建築用材として植林された杉や檜は枝打ちをする手間もいらないので、雑木林はどんどん針葉樹林に変えられていきました。放置された針葉樹林は地面に日が当たらないし、木の実が無いので動物が住めなくなります。

湾の環境をよくするために始めたことは、植林運動でした。間もなく30周年を迎えるこの環境保護運動は、今は「森は海の恋人(The Sea is longing for the forest)」という何とも詩的な名前のNPO法人として続けられています。
この ”long for” という訳は、美智子皇后がご提案くださったとのことです。

1990年代に入り、この植林運動は、環境保護団体や科学者の支援もあって、多くの人が参加するようになり、気仙沼湾は美しくよみがえりました。

2010年には、日本人同様牡蠣の大好きなフランスから養殖業者が視察に来て、「ここは牡蠣にとって天国のような海ですね」と絶賛したそうです。

そんなよみがえった気仙沼湾ですが、2011年3月11日の津波で、また壊滅的な災害に襲われました。
津波の間際には生き物はいなくなり、「海は死んだ」と感じたそうです。

津波から1か月後、重篤さんのお孫さんが「海に小さい魚がいっぱいいるよ」と知らせてきました。

有機物は海の底から上がってきますが、山からの鉄分がないと光合成はできなそうです。
気仙沼湾にそそぐ大川には,植物プランクトンが生きていくうえで欠くことのできない鉄分が豊富に含まれています。

20年以上にわたって続けられた「森は海の恋人」の植林運動で豊かになった室根山が、湾の復活を助けたのです。(^ε^)♪

津波で天敵のいなくなった海中でまず植物プランクトンが爆発的に増え、海は瞬く間に復活しました。

牡蠣が食べきれないくらいのプランクトンがいるのをみて、重篤さんたちはホッとしたそうです。試に種苗ガキやホタテ貝を海に入れると津波前の2倍の速さで成長ましたとのことです。\(^o^)/

時に、「神様がいるならなぜこんなひどいことがもたらされるの?」と叫びたくなるような天災に見舞われることがあります。身近な人を失った悲しみは、どんな言葉をもってしても癒すことも慰めることもできません。

それでも、天地創造主(サムシング・グレイト)はなんらかの意図をもって宇宙を司っているのだと思います。
気仙沼には国指定重要無形文化財登録を受けている、1300年の古式を今に伝える、有名なお祭りがあります。

このお祭りでは、気仙沼の海の民が、夜明け前の海で海水を汲み、山にある室根神社に運び、その御神水で御神体を浄め、そこから祭りが始まります。震災後初めて行われる平成25年の大祭で重篤さんはその大役を荷われました。
そこには、魂の復活と海の復活への祝福がありました。

日本人の心の奥底には、はるか縄文時代から受け継がれた独特の自然観があります。
「すべての自然現象の背景には、人知をはるかに超えた宇宙の意志が働いている」と。

時に耐えがたい苦しみを与える自然現象でさえ、恐れ敬うような日本人の心は、独特の美と知恵と勇気を生み出しているのだと、ガイヤシンフォニーが映し出す人々の営みを見て、改めて感じると同時に、「日本人として生まれて良かった」と思うのです。

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