ガイヤシンフォニー(地球交響曲)で樹の精霊の声を聴く
ガイヤシンフォニー(地球交響曲)の上映会に行きました。
今回で8作目です。
この映画は、自主上映という形をとっていますので、私の住むVancouverでは一般の映画館で見ることはできません。
いつも遊楽塾というグループがオーガナイズしてくれるおかげで、素晴らしい映画を見ることが出来ました。
監督の龍村仁さんをお招きしての講演会も開催して頂きました。感謝です。
東京では、シネマ・チュプキ・タバタという映画館で定期的に上映されているようです。
この素晴らしいドキュメンタリーを見る機会が与えられていると知ってとても嬉しいです。
ガイヤシンフォニーを見ると、科学技術の発展のお蔭で享受できる便利な生活と引き換えに、忘れてしまった大切なことを思い起こすことができます。
私たちは地球の主人であるかのように勘違いをして、花や樹や鳥たちの声を聴くこと、彼らと語ることを忘れてしまいました。彼らを利用し犠牲にしていることさえも忘れてしまっています。
ガイヤシンフォニーには、ガイヤからの声、大自然の声を聴くことの大切さを知っている人、聴くことを実践されている、とても素敵な方々が登場されます。
私たちはガイヤの一部、宇宙の一部として、生かされている存在であることを思い起こして日々を送ることができたら、周りの事に振り回されない平穏を得ることが出来ると、この映画は教えてくれています。
第8作目である今回のテーマは、樹の言霊に「出会い」「聴き」「心に植える」ことでした。
龍村監督はおっしゃっています。
「樹は何億年にも渡って大気中の酸素濃度を 21%に保ち続け、絶滅と進化を繰り返してきた多様な生命を生かし続けてくれたのです。 世界の全ての文化の中に、樹令数百年の老大樹には、精霊が潜んでいるという言い伝えがあります。「樹の精霊」とは、「宇宙の意志」の顕われなのかも知れません。」
このことを伝えるために、「能面作り」「バイオリンづくり」「気仙沼の復活」の3つのエピソードを取り上げています。
今日はその一つ、「能面」のエピソードについてシェアします。
600年前に、観世流三代目元雅によって天河神社に奉納された能面「阿古父尉(あこぶじょう)」を、新作能「世阿弥」の舞台で使いたいという願いが国立能楽堂から届きました。
男性の老人の面を「尉」といいます。
しかし、この文化財をそのまま使用することはできないので、復刻させるというプロジェクトが持ち上がりました。
能面一つを作るために、多くの儀式が執り行われる必要があります。また、一つ一つの儀式にはそれに見合った「時」というものがあり、中には真夜中の社殿で行われるものもありました。だから完成までには1年ほどの時を必要としました。
厳かに執り行わる儀式をみていると、お能は芸術というより神事なのだと感じます。
木を選び切り出すことから、すでに神事の一部です。選ばれた楠の老大樹の精霊に、その命を使わせてもらうことをお願いして祈ることは、とても大切で美しい儀式だと感じました。
当代随一の能面打といわれる見市泰男氏が、必要な大きさに切られた楠に彫刻刀を入れてゆく作業は、樹の精霊との会話のようです。
削り取られた木片はすべて集められ、護摩木となって焚かれ、エネルギーとなって阿古父尉のお面に宿り、お能の舞台を守ると信じる心がとても素敵です。
お能を見たことはありませんし、見たいとも思ったことがありませんでしたが、これほどまでに大切につくられるお面をつけて舞われる舞台を見たいと思うようになりました。
日本人は樹には精霊が宿ると信じる人は多いのではないでしょうか?
でも忙しい日々の生活の中で、その精霊の声を聴くことを忘れています。ハイキングやトレッキングで大きな木に出会い、抱き着いてみると、なんだか癒されたという経験はありませんか?
樹だけでなく草花や小鳥、岩や水の流れでも、大自然の声に時々は耳を傾けてみることは、穏やかな気持ちで日々を送る助けになると思います。